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寿司は万年

そこのけ、そこのけ

▽にげる のコマンド

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昔、育てに育てたデータが入っているゲームソフトを遠い親戚の男の子にあげた。

 

小学校高学年になって、周りがゲーム離れをし始めたのもあった。それでも、とても大事に遊んだゲームだったので、その子の手に渡っても、楽しく遊んでくれるといいなあとぼんやり考えていた。

 

けれど、昨年、その男の子は自ら命を絶った。19歳だった。

 

そういうことがあって、それから随分そのことについて考えるようになった。彼にあげたゲームには彼のデータが残っているだろうか。本人は不在だけれどデータだけは残っているのかと考えると不思議な感じがする。楽しく遊んでくれただろうか。

 

人の死の知らせはあっけない。あっけなく、ぽっかり穴が空いたとは言い得て妙だ。本当にあの子は実在したのだろうか?とさえ思った。けれど、昔あげたゲームソフトは手元になく、それは紛れもなく事実だった。

 

「どうして、気づいてあげられなかったのか」

在り来たりな言葉だけど、そう強く思った。

随分遠くに住んでいるので、もう本当に十何年も会わないまま元気な彼と会うことはなかった。

何年か前に届いた年賀状の家族写真では、彼だけどこか笑っていなかったのを、この間見返していて気がついた。

気がついたというよりは、そういう出来事があって、そういう風に見えてしまっているだけなのかもしれない。

 

それでも、どこかで、何かの形で彼の異変に気づくことが出来ていたらと、強く思う。(それは私ではなくても、誰でも良かった)

勝手な、本当に勝手な自分の感情でしかないけど

 

 

そんなの綺麗事だと言えば、本当にそうなのだけど…それでも、どこかに彼の逃げ場、逃げ道があれば、何かが変わってたんじゃないか。別にタラレバが言いたいわけでは無い。

考えて何かを思っても、そんなことも宙に消えていく。事実は消えない。

偽善的なことを言いたいわけでもないから、こうやってぼやいている。

 

ただ、

自分の現状に目を向けて、危険だと少しでも感じたら

 

そこから一回、完全に逃げてみること

 

が決して悪いことでは無いということ。

 

「逃げる」ということが消極的に判断されて、非難されてしまいがちな風習があるのも事実だ。けれど、逆に心身共に傷を追わずに逃げ切って生き延びることが出来たらどうか。

一身に傷を受けて、立ち上がれなくなるより、形勢を立て直してやり直せた方が、よっぽど良い。

 

だから「私の長所は積極性です」と言わせる環境じゃなくて「私の長所は逃げることです」と言っても許されるような環境もあればいいのになあと。

 

年齢を重ねれば重ねるほど、社会とかに出て尚更、逃げることが難しくなるのも事実で

「主体性を持って、自分から積極的に動こう」なんて言われがち。多分、逃げることはとても難しい。

 

でも、それが全てではない。まずは自分の身をどう守るか。受身で何が悪い。

 

受身だって「どう、モノゴトを受け入れて処理をするか」を身につけることが出来たら、それは大きな盾であって武器でもあると思う。

 

「逃げ方」も授業で教えてくれたら嬉しいですよね。逃げるための講座とかね。にげる指導をしてくれ

 

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 オーキド博士もこう言うので

また、そうして変な画像を作りながら、私は今夜も逃げるコマンドを連打するのでした。