ひとりごと保健室〜心と脳〜
正直、自分史を振り返ると人間ブラックボックス的で、大手を振って人に言えるようなことは、あまりない。基本的に“普通”というレールから程遠く、環境的にも人に言えば驚かれることばかりでドロドロとしている。
今はびっくりネタとして笑えることも、笑えない時代の方が長かった。「苦労は買ってでもしろ」というのは、苦労を自分の肥やしに昇華出来た人の言葉だと思っているし、出来れば辛いことなんて無いにこしたことはないと思います。
昇華する作業は自分VS自分ってかんじで堂々巡りのデスロワイヤル!!カンカンカン!!
とは言っても、
何か嫌なことがあってもやっぱり生きていかねばならん!!と思ったときに最近考えていることは「その負の感情をどう受け止め、処理するのか」です。
メンヘラなんて言葉が出回っているけど(あまり好きな言葉じゃない)、正直「心が弱くて何が悪い」です。
人に迷惑をかけるタイプの人には確かに手を焼くけど、個人的に悩んだりするのって別に良いんじゃないか。というか、当たり前だろと人の話を聞いたり、自身の体験を振り返っても思います。「メンヘラ」という言葉で人の悩みとか問題を一括りにして、結局見ないようにしてる。
「あいつはメンヘラだから」などと敢えて口にする人は、そこに少し自己投影が入っていて自分の一部に嫌悪しているんじゃないかなあとか考えます。悩んだり悲しんだりする自分を認めてあげられていないのかな。
これに限らず、大体、人の嫌なとこが目につく時って「そこに少し自分と似ている点」がある時じゃないかと思います。
私は、似ていると言われた芸能人のちょっと微妙なパーツ(目とか鼻とか)が気になって嫌になります(笑)関係ない?
話を戻して…
「心が弱い自分は駄目だ」と「脳みそが疲れている自分は駄目だ」という文章
これが実は一緒(似ている)だということに最近、気がつきました。
心身二元論だとかなんとか論とかの話がしたいわけじゃないので、そういうのは別のところでお願いします
心が弱い=自分が弱いという図式になってしまいがちなのは、心が目に見えないものだからこそ自身に直結しているように思えるからでしょうか。
「メンヘラ」のところでも言いましたが、まだまだ日本では「心が不調であること」に対して偏見が強いと思います。心療内科とか精神科にかかることをどこかで引け目に思っているし「お前精神科行けよ」という悪口はまさに、それを具現化してますね。
でも、真面目な話、北欧やアメリカでは心療内科やカウンセラーにかかることがご飯を食べるように、トイレに行くように、当然らしいです。心身の不調を大声で言えるセーフティーネットがあるのです。
日本も最近、企業でのストレスチェックが義務化される法案が可決されました。精神的な問題を未然に防ぐ、健やかに働こうという政策。この分野はまだ勉強不足なので割愛しますが、とっても興味があるので勉強します。
でも、心を司っているのは実は脳という臓器。
「嫌だなあ」「辛いなあ」と考えているのは脳です。
「心が弱い」というところを「脳が不調であること」にすり替えてみました。
うつ病の方が「心の病気」と言われるのより「脳という臓器のセロトニンが足りていない」とちょっと科学的に言われると、「脳の病気か。仕方ないのだろうか?」と少し思うことが出来ることに似ているでしょうか(これは身内の体験を見ての感想なので、全員に当てはまることではない)
「脳」という臓器が不調なのだと思うことは、胃とか腸とかの臓器が不調なのと一緒なので仕方ないなあと少し割り切れますし、不調なら「寝よう」とか「一度休もう」とかの対策も立てやすいのかなと感じます。事前予防大事。
結論は、心の問題に対面してしまった時に「心が弱いなあ」と思うのではなく「脳みそ疲れてるなあ」という考え方へ転換をしてしまうのはどうだろうという提案です!
自分の脳みそを、切り離してペットのように可愛がる!
「こちら紹介します。私の脳みそです!」
可愛がるというよりは、脳みそを上手く手懐ける。大丈夫ヨシヨシ
客観的に見て、分析してみる。
あるいはこんな感じ
自身の身体がガンダムで、脳みそには小さい自分が外界を見て操縦している!
心の不調で自身が塞ぎ込んでしまう前に、少しの変化に気がついて対策を考える。
ここは「脳みそちゃん不調か〜。休もうか〜気分転換しようか〜」
ってな感じで。
なんかちょっと論点が違うんじゃないの?と思われた方もいると思いますが、発想の転換で自分と心の向き合い方を変えてみようという提案でした〜
おっと、またやばい画像を作ってしまいました。今日も頑張りましょう(笑)
今回はいらすと屋さんにお世話になりました!!